大同元年(806)建立。もとは地名を夜討峠畑山(えいちたばたやま)と呼ぶ丘の峰にあったと伝えている。戦国時代木梨元清と小原中山城主三浦氏との戦いのとき寺も焼かれたと伝えているが、本尊十一面観世音菩薩は難を逃れた。その後万治元年(1658)に福山市山手町三寶寺六世通天梵達大和尚〔萬治元(1658)年三月廿九日遷化〕の遺命により、現在の地に本尊を遷座し曹洞宗となった。
たびたびの火災で旧記を失している。寛文元年(1661)より現在地へ伽藍再建工事を開始したが、覺亟照因座元はその完成を見ることなく元禄七年(1694)五月十二日遷化した。その後の鑑宗自照大和尚〔元文二年(1737)五月十四日遷化〕の代、宝永元(1704)年再建工事を完了し當山を中興した。また、通天梵達大和尚を當寺開山と仰ぎ、覺亟照因座元を前住とし、鑑宗自照和尚を當山二世とした。
本尊 十一面観世音菩薩立像は容姿端麗で鎌倉時代末期の優れた尊像であり、多くの人々の信仰を今もなお集めている。 |